kosudoartproject2018

鮫島弓起雄 アート 彫刻 sameshima yumikio art sculpture

役目を終えた道具が神様になる町-小須戸

使い古された道具や機械、その部品などが、魂を宿し形を変えて新しい神様となる。彼らは時折、町中のそこかしこにひっそりと佇むようにしてその姿を現す。

2018年、「水と土の芸術祭」にて発表された彫刻シリーズ。

 

〈長井さんの力織機・杼箱装置〉
小須戸では江戸時代から織物の生産が盛んで、特に「小須戸縞」はとても丈夫で評判を呼んでいた。最後の小須戸縞職人である長井さんの工場には、当時使われていた機械動力式の織機・力織機が数台残っている。中にはトヨタ自動車の起源でもある豊田自動織機株式会社の力織機もあり、長井さんの話ではこの豊田のものが一番作りが良いのだという。
この杼箱装置は緯糸を通す杼を入れるためのもの、これをいくつか連結させることで一反の織物に複数の色の緯糸を使うことができた。

〈長井さんの力織機・ペダルレバー〉
長井さんの工場の力織機は明治後期から大正期にかけて導入されたもので、それまで手織りで生産されていた小須戸縞の生産量を飛躍的に増加させた。戦後は国の方針で、古い織機を壊して新しいものを買う流れがあったがそれには乗らず、結果として長井さんのところには他ではあまり見られない貴重な古い力織機が残ることになった。
ペダルレバーが上下に動くことで、二つに分けられた経糸が入れ替わり、杼箱装置から飛び出す杼を通すための杼道が作られる。

 

〈内山さんの庭木用鋏〉
「町家カフェわかば」で働く内山さん。
内山さんのお祖父さんが、趣味としてサツキを育てていた時に使っていた庭木用鋏で、刃が曲がっているものが剪定鋏、真っ直ぐのものが芽切鋏である。お祖父さんは道具の質にはかなりこだわるたちだったようで、この鋏も江戸時代から金物産業が盛んな三条市で四十年以上前に購入したものと思われる。剪定鋏の方には「日本一」という刻印が入っている。
五年前にお祖父さんが亡くなり、それ以降ずっと倉庫で眠っていた。

 

〈浜屋のレコードプレーヤーユニット〉
浜屋は今から約百年前、大正時代の終わりに酒屋として小須戸に誕生した。戦後すぐに現在のご主人である健雄さんのお祖父さんが、日本の経済成長を予測し電化製品の取り扱いも始めたが、高度経済成長期の終わりとともに売れ行きも落ち込み家電製品の販売を止めてしまった。
このレコードプレーヤーは残っていた在庫品のひとつである。六十余年ほど前の製品だと思われるが、ULP、LP、SP、EPの回転数の違う四種類のレコードをこれ一台で楽しめるという当時の最新機種であった。

 

〈小林さんのキックボード〉
CAFE GEORGを営む小林みどりさん。の娘さんのハンドル折り畳み式キックボード。保育園の送り迎えで使用していた。
送るときと連れて帰るときは娘さんと一緒だったから良かったのだが、送った帰りと迎えに行くときは小林さん一人で乗って帰るので、ピンクのハンドルとピンクのホイールで町中を走るのが少々恥ずかしかったとのこと。他の手段での送り迎えも提案したが、娘さんはこのキックボードで通うことをとても楽しみにしていたのであえなく却下された。
二年間使ったのち、ハンドルが回らなくなってしまった。

 

〈武田輪店のスーパーカー自転車・スピードメーター〉
昭和五十年代、多段ギアシフト、ウインカー、ライトギミックなどを装備したいわゆる「スーパーカー自転車」が大流行し、当時の少年たちの心を鷲掴みにした。ブームが大きくなるにつれて装備もどんどんと過激になっていき、速度計に風速計、ポップアップライトや油圧式ディスクブレーキ、H型シフターなども盛り込まれた。
このスピードメーターは前輪とワイヤーで繋がれているもので、前輪が回転するとそれに伴ってワイヤーも回り、メーターの針が動くという仕組みになっていた。

〈武田輪店のスーパーカー自転車・ベル〉
武田輪店の二代目、武田聡さんもスーパーカー自転車に胸を熱くさせた少年の一人だったが、当時はあまりにも高価で手が届かない憧れの代物だった。今でもスーパーカー自転車をはじめ、現在もう生産されていないような古いタイプの自転車やパーツが好きで集めている。
このベルも相当に古いタイプで、ハンドルの持ち手部分に横につけるのではなく、ハンドルポストに縦型に固定されていた。きれいな青色メッキの上に黒い塗装が施されている。

 

〈かまくらやのチェックライター〉
明治三十九年、創業百十年を誇るかまくらや。昔の店名は百貨店になぞらえてかまくらや十貨店といっていた。
これは取引先との領収書や小切手に印字をするために使用していたチェックライター。数字を一文字一文字印字するタイプのもので、押すのにもある程度の力が必要なため、年配の方が取り扱うのに労を要した。印字がずれるようになってきたため、数字もいっぺんに印字できるデジタルタイプのものに買い替えた。
平成十二年から昨年平成二十九年まで十七年間使用していた。

 

〈砂井時計店の機械式時計〉
砂井時計店は小須戸で明治時代から百年以上続いている老舗。電池で動くクオーツ式時計が一般家庭に普及し始めたのは一九六〇年代後半のことで、それ以前は時計と言えばゼンマイや歯車が組み込まれた機械式が主流であった。
この機械式時計の部品は六十年ほど前の愛工舎製三十日巻のもので、お客さんから処分するからということで引き取り、他の時計の修理用にいくつか部品を外して残ったもの。愛工舎は現在時計の生産を一切行っておらず、部品が壊れたりした場合には他の時計から部品を頂戴するしかない。

 

〈石田さんのモグラ捕り器〉
小須戸ARTプロジェクトのプロデューサーである石田高浩氏の実家は、風呂桶屋としてお店を開き、のちに金物屋も経営する様になった。
金物屋創業当初モグラ捕り器は取り扱っていなかったようだが、近隣の農家の方からのリクエストがあり仕入れるようになった。モグラは直接作物を食べるということはないが、益虫であるミミズを食べてしまい、また畔にも穴をあけてしまうため、水田でお米を作っている小須戸周辺農家にとっては天敵である。
このモグラ捕り器は店内に錆ついた状態で売れ残っていたもの。

 

〈栄森酒店の機械栓と金属製取っ手〉
栄森酒店がお店を始めたのは、現在のご主人徳生さんのお祖母さんの代から。
ボトルは今から二十三年前、一九九五年に日本で初めて地ビールブームが起こった時に徳生さんが岡山の知り合いから譲り受け、形が面白いということでなんとなく捨てずに長らく保管していたもの。機械栓を使ったビール瓶自体珍しいものだが、この瓶の形に金属製取っ手、ユニークな動きをする機械栓は、ビール大国ドイツの伝統的なスタイルを踏襲したもので日本国内では中々お目にはかかれない。